良い生活、良い人生のために働きたい
お金をもらうために働くのだけれども、それだけではないと思う。
良い生活をして、良い人生を送るために働くのだと思う。
良い生活とは、お金を稼ぎ、いい住居、いい食事をすることや贅沢をすることではない。つまり、物理的なことや経済的なことに限らないと思う。
もちろん、お金を稼ぐこと自体は非常にいいことだし、いい物理環境・経済環境を作ることは大事だしいいことだ。
言いたいのは、大事であるが、それが目的ではないということ。
つまり、良い生活、良い人生とは、精神的に充実すること、毎日を楽しく送ることだと思う。
上京して十余年がたった。先日、学生・社会人初期の頃のアパートを見たが、古くてまさに若い学生が住むような場所だった。とても趣があって個人的には好きだし、懐かしい気持ちになり当時の心情や志を思い出しセンチメンタルな気持ちになった。
今は、持ち家に住んでおり、とても綺麗な広い家に住んでいる。
一般的には、昔より今の方が住環境がいいので、今の方がいい生活、人生を送れていると思われるのだろう。
が、私はそう思えなかった。昔の環境は惨めだが、精神が充実していた頃の思い出なので、とても心が躍ったのである。
昔の環境はトイレ・風呂共同の、6畳、築40年くらいのそれほど綺麗なアパートではない、今の環境は新築の5LDKだ。比較にならないだろう。
今の環境はありがたいし、とてもいい環境だ。でも、心が伴っていない時に昔の環境を見たので、相対的に昔への心が躍ったのだろう。
今現在、あまり良い精神状態ではない。原因は自分にあるのだけれども。
良い生活とはつまり良い精神である。良い精神が良い生活を作り、良い人生となる。
物理的経済的環境だけが決めるわけではないから、一番いい選択をしたい。
もう一つ同じ話がある。
また、会社の同僚とお昼ご飯を食べたのだが、今の職場環境が好きでないらしい。
その話を聞いてとても残念になった。働く時間は長い、平日はほとんど働いていると言っていいだろう。その時間が充実していないということは、給料がもらえるので経済的には充実するのだろうが、物理的に肉体的に苦しい状況にあるということだろう。
苦しさを作っているのは何なんだろう。
現代日本では、奴隷はおらず、みな、自由意志で仕事職場を選んでいる、一般的にはだけど。自由意志なのに、辛い状況におり抜け出せていないという状況になっている。
精神が辛いからか?何故なんだろうか。
人の苦しさを打開する方法は、なかなかないけれども何か楽になるようなことはできるんじゃないかと思った。それが何なのかは分からないけれども。
精神的な充実を求めることが大事なのだと思う。
体裁とか社会的地位とかお金がもらえるということ以上に。
自分の精神的な充実があってこそ、他人への良い影響・循環が作れると思う。
働きがいとは、良い精神をまず持って、そしてそれにより、良い生活・人生を作ることだ。